我が社の街 横浜 歴史探訪 そにょ1 吉田橋

社内で自他共に認める歴史好きの私が、私たちにとって身近な街であるはずの横浜の知られざる歴史についてちょっと調べてみようと思い、ペンを走らせてみます。今回はその第1弾。吉田橋です。
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この橋はJR根岸線関内駅の北西に位置し、JRと並行して半地下状態で走っている首都高速神奈川1号横羽線を跨ぎ、一方を伊勢佐木町、もう一方を馬車道、いずれも横浜の代表的な繁華街を結ぶ形で架かっている、周辺利用者にとって欠かせないものとなっています。ただ写真で見ても分かる通り、何の変哲もないただの鉄筋コンクリート製の橋で、恐らく利用者の多くは、これが橋であること自体あまり認識していないのではないか、といった佇まいをしています。
この吉田橋、最初に架けられたのは1859年(安政6年)とされ、当初は木製だったそうですが、1869年(明治2年)にイギリス人土木技師ブラントンの手によって、当時の日本では非常に珍しい鉄製の橋として生まれ変わったのです。
この橋は、横浜開港当時、堀川によって隔てられていた開港場(現在の馬車道側:海側)と東海道へと繋がる陸地(現在の伊勢佐木町側)を繋ぐ目的で架けられました。
また同時にこの橋に関門が設けられて、開港場と外部との出入りを取り締まっていたとのことで、これにより開港場を『関内』、陸側を『関外』と呼ぶようになり、これが現在のJR関内駅の名前の由来となりました。
さらにここから分かることは、現在の首都高速道路は元々、川だったということです。厳密には運河と呼ぶべきものだったかも知れませんが。さらに言えばそもそも江戸時代前期頃まで遡れば、この関内、桜木町周辺一帯は全て海だったわけで、いずれにしてもまさに隔世の感あり、といったところでしょうか。

日頃何気なく通っていたこの吉田橋、実はこのような歴史の中の一つの役割を担っていたのです。過去の風景に思いを馳せつつ、あらためて括目してみるのも良いかと思います。

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